みんなで創る度会県!度会県民参加型プロジェクト

紀北町引本浦関船祭応援プロジェクト2019

【前編】日本の美しさが残る漁村で引本関船祭を。

空と海と山、趣のある古民家。

風情ある漁村を歩いている。

ここは引本浦。

大正から昭和にはカツオ漁の基地として栄えたらしい。今はカツオ漁船はない。時代が変われば漁も変わる。現在は鯛の養殖が盛んだという。

リアス海岸に迫る山。漁業だけでなく林業の集散地でもあった。

私事で恐縮だが漁村が好きだ。いろんな漁村へ行くが引本浦は家が大きい。木造三階の建物はこの漁村でしか見たことがない。

元々は遊女がいた遊郭だったと聞く。地元の人と話すと結構な割合で遊郭があった頃の話をしてくれる。そして皆さん地元がにぎわっていたと、どこか嬉しそうに話すのだ。(引本の繁栄は昨年記事をご覧ください)

空と海と山があって、趣のある古民家が並ぶ。この時期は玄関や窓を開けている家が多い。軒先からはテレビの音や話し声が聞こえる。それ以外の音といえば、たまにすれ違う車の音とトンビの鳴き声くらいだろうか。

湾なので波音もなく、穏やかな海や風に揺れる洗濯物に心が落ち着く。静かでどこか懐かしく、それでいて艶のある空間。昨年に続き関船祭の取材で、今回は一軒の古民家を訪ねた。

伝統や男気。

紀北町引本浦にあるまちかど博物館「かつお節博物館」へ。運営するのは濵田耕輝さん、起実さんご夫妻。

▲濵田耕輝さんにかつお節博物館を案内していただいた。

耕輝さん:ここには海水の井戸があるんですよ。

海水の井戸・・。地下水ではなく海水・・。

ここは20数年前まで、5代続いたカネイ商店というカツオなどを加工する水産加工業だった。水揚げされた魚を処理するときに、海水を井戸から汲んで使っていた。引本浦は埋め立て地なので、掘れば海水が出るという。

博物館にはかつお節のサンプルや捌く際の刃物、昔のかつお節削り機やレトロデザインの刷り版などの展示物が並ぶ。

柱には当時水揚げされ加工をする際に書いた記録が残る。それにしても立派な建材。漁業と林業で栄えた証だと思った。

▲左から耕輝さん、起実さん、佐和子さん、耕一郎さん。

客間に上げていただき、ここからは隣町の尾鷲市で暮らす息子の耕一郎さん、奥さんの佐和子さん、孫の宗介君にも加わっていただき関船祭の話を聞いた。

▲昨年の関船祭の様子

関船祭は約1トンにもなる関船を男衆が担ぐ祭りで約300年の歴史を持つ。(祭の様子は昨年のリポート記事をご覧ください)写真のように、男衆が渾身の力で担がないと関船は持ち上がらない。さらに左右に分かれた担ぎ手は、担ぎながら関船を上下に揺らし合い力比べをする。

耕輝さん:昔は山方と海方が左右に分かれて競ったそうです。

なるほど。男としては負けられない一戦だ。

耕一郎さん:右側対左側で、相手側にやられると、来年こそは勝ちたくなります。

耕一郎さんは20年以上、毎年関船祭に参加している。その醍醐味とは。

耕一郎さん:引本神社を出発して町を練り歩き、何カ所かで関船を担ぎ激しい練り込みをします。最後に神社でも激しい練り込み。体力のペース配分が難しいです。それは個人としてもチームワークとしても、未だに難しい。でもひとつの目的に向かうことで仲間になることが嬉しいです。

▲昨年の関船祭の様子

私は昨年初めて関船祭を見た。そして今でも鮮明に覚えている。多くのギャラリーで賑わう神社でのクライマックスでは、残っている気力と体力を絞り出し関船を何度も担ぎ、そして揺らす男衆。関船が揺れるたびにスマホやカメラのシャッターを切る観客。神々しくも映ったその光景に、伝統や男気はかっこいいなと気持ちを引きずり込まれた瞬間だった。

耕一郎さん:応援してくれたら、それだけで嬉しいです。

そして自分たちは神事と祭という伝統を引き継いでいるんだという自覚を、担ぎ手のみんなで分かち合えたらと耕一郎さんは続けた。私は宗介君に祭のときのお父さんの印象や、大人になったら関船を担いでみたいか聞いてみた。

▲右:宗介君

宗介君:かっこいいと思います。やってみたいっちゃー、やってみたい。
耕一郎さん:え、そうなん。いや、これは言わせてないですからね(笑)。

妻として佐和子さんは関船祭をどう感じているのだろう。

佐和子さん:わくわくします。神社には絶対に行って観たい。旦那どうのこうのじゃなくて(笑)。

観光地ではない、生きた日本の美。

▲昨年休校になった引本小学校の児童数の変動

関船祭は、年々カメラマンが増えている。しかし少子高齢化が進み、担ぎ手が減っている。引本浦は昭和30年頃には人口が約4,800人だったが、今は約1,000人と激減。そこで関船祭は地元以外の担ぎ手も参加できる制度となった。昨年の関船祭を取材したときに、津市と四日市市から初めて担ぎ手として参加した男性たちに話を聞いた。

津市の男性:勇壮な空気や熱気、肩にのしかかる山車の重さ、住民の人たちのイキイキとしたまなざしを見ていると、なんだかこちらも「生きている」と実感しました。

四日市市の男性:初めての参加で不安に感じていましたが、地域の人たちが声をかけてくれて温かく受け入れてもらい、そんな不安は一気に吹き飛びました。また、自分は団地育ちでこのような伝統行事というものに触れることなく育ったので、すごく新鮮に感じました。これを地域で維持していくという重責は大変だろうなと思いますが、伝統が残る地域に生まれ育った住民の方をうらやましく感じました。

また、以前には偶然訪れた旅人が担ぎ手として参加したことも、また毎年のように県外から60代の男性が参加しているとも聞いた。

そう、関係人口だ。観光以上移住未満とされる関係人口は、例えば一時的に農業などを手伝ったり、定期的に通うなど地域の人と繋がることが多い。そして今回のように伝統のある祭に参加することでも、地域の持続的な発展に役立つことができる。これから日本が直面する人口激減社会。しかしそんな未来でも、地域の伝統に触れたり地域の人と繋がることは、愉しく暮らすことに繋がる気がする。
最後に人口が減っていく地域に暮らす実感を、静岡から嫁いだ起実さんに聞いた。

起実さん:不便はないです。自然もきれい。こんないいところないと思う時もあります。ここでの暮らしに満足しています。

物が溢れかえっている現代。引本浦のように林業と漁業で栄えた漁村で日本の美しさに触れることは、いわゆる観光地で作られた日本の美に触れることとは違った愉しさがある。それは目に見えることだけではなく、空間が醸し出す本物の歴史文化や、そこに暮らす人と繋がることも含めて、新しい魅力に触れること。

関船祭の担ぎ手は男性しかできないが、女性でもスマホやカメラ片手に訪れるだけで、新しい発見があると思う。そして関船祭のような地域に残る伝統に、もしかしたら触れることができなくなる子どもたちにも男気の美しさを見せてあげたいと思った。

▲昨年の関船祭にて

日本の民俗学者、柳田國男は「ハレとケ」という日本人の伝統的な世界観を残している。ハレ(晴れ)は儀礼や祭であり、ケ(褻)は日常。フェスティバル化していない日本のハレの祭がここには残っている。

▲引本神社にある四つの社の一つ「御子宮神社」。

ところで、ここが繁栄していたころの遊女たちは、関船を担ぐ男衆に何を感じていたのだろう。そして関船を担いでいた男衆は、どんな視線を意識していたのだろうか。日本の美しさが残る漁村引本浦で、そんな想いを馳せていた。

関船祭の参加募集中!

関船祭は存続のために引本浦外、町外、県外在住の担ぎ手参加者を募集しています。また担ぎ手以外でも関船祭の見学者も大歓迎です。この機会にぜひお越しください。
※担ぎ手としてご参加ご希望の方は、下記要項をご確認ください。

イベント概要

  • 開催日

    2019年10月20日(日) 雨天決行

  • 開催時間

    *―スケジュール*
    10:15 引本神社
    11:00~15:00
    関船祭(15:00終了予定・終了後随時解散)

  • 開催場所

    紀北町引本浦(引本神社)

  • 参加費

    無料

  • 持ち物

    白いTシャツ、白い短パン、白い地下足袋
    ※無地のものが好ましいです。地下足袋は貸出もあります

  • お問い合わせ先

    問い合わせ先・参加応募方法
    参加希望の方・問い合わせはMailをお願いします
    kkohta.13@gmail.com(濵田)

    参加希望の場合は氏名、年齢、連絡先を記入してMailしてください

  • その他

    昼食等は祭り内で準備しています

一覧に戻る

TOP